クルジュ=ナポカから車で十分ほど走っただけなのに、街はもう背後に消えている。道は次第に狭まり、やがて途切れ、その先から森が始まる。地図の上では小さな森だ。せいぜい三平方キロメートルほど、午後のひとときあれば歩いて横切れる程度の森。ところが、まず目に飛び込んでくるのは木々である。木々が、木のあるべき姿で立っていない。幹が片側へ激しく折れ曲がり、自らの身をぐるりと巻き返し、まるで見えない手が木の梢をつかんで濡れた布のように絞り上げたかのように、螺旋を描いて空へ伸びていく。風もない。斜面もない。そうなる理由がどこにもない。さらに奥へ進むと、一つの空き地に出る。四方を暗い木々に囲まれた、ほぼ完璧な円をなす広い草地だ。そしてその円の中では、何ひとつ育たない。若木もない。低木もない。あるのはむき出しの草と、少しばかり完全すぎると感じられる静寂だけ。手にした携帯電話は見当違いの方角を指している。そして、ここへ足を踏み入れる前に誰かが話してくれたあのことが、頭の片隅に残っている。かつて一人の羊飼いが羊二百頭を連れてこの森へ歩み入り、人も羊も一頭残らず、二度と歩いて出てこなかったという話。ここがホイア・バキュ、ルーマニアの人々が「トランシルヴァニアのバミューダ・トライアングル」と呼ぶ森だ。この森は、誰に対してもまっすぐな答えを返したことがない。

小さくとも悪名高い森
ホイア・バキュは、トランシルヴァニアの中心部、クルジュ=ナポカの西の端に位置している。数字だけを見れば、なんの変哲もない森だ。広さはおよそ三平方キロメートル、農地と現代都市の郊外に囲まれ、ふつうの午後にはジョギングをする人やマウンテンバイクに乗る人が行き交う、そんな森である。大きさから見ても場所から見ても、有名になる理由などまったくない。それでもこの半世紀のあいだ、この森はヨーロッパで最も話題にのぼる「幽霊の森」の一つとなり、超常現象の調査者やテレビの撮影クルー、いわゆるダークツーリズムの旅行者たちを世界じゅうから呼び寄せている。当のルーマニア人の多くは、昼食前に歩いて横切れる森だというのに。
この土地そのものは、幽霊とはなんの関わりもなく古い。森のすぐ北で、考古学者たちはルーマニア最古級の新石器時代の集落跡を掘り出した。数千年前、ここで暮らし畑を耕していた人々の痕跡である。これは検証された歴史だ。だがそれ以外のもの — 失踪、光、故障する機器 — は、はるかに曖昧な領域に属している。幾世代にもわたってこの木々のまわりに育ってきた物語、誰ひとりとして確かめることも、消し去ることもできずにきた物語である。

何も育たない空き地
ホイア・バキュに心臓と呼べる場所があるとすれば、それは「ポイアナ・ロトゥンダ(Poiana Rotundă)」 — 「丸い草原」と呼ばれる空き地だ。その名のとおりである。鬱蒼とした森の真ん中にある広い空き地で、ほぼ完璧な円をなし、草は育つが木は育たない。衛星写真で見れば、この円ははっきりと浮かび上がる。まわりの樹冠のあいだにはめ込まれた、つるりとした緑の円盤だ。その縁に立ってみると、その幾何学的な形はまことに不気味である。四方から森が分厚く暗く押し寄せ、そして見えない一線に達したところで、そのままぴたりと止まる。まるでその円の中の地面だけが、木々に禁じられているかのように。
そこでなぜ何ひとつ根を下ろさないのか、それは誰も答えられずにいる問いだ。長い年月のあいだ、この空き地では幾度も土壌のサンプルが採取されてきたが、そのどれもが明確な説明を示さなかった。目立った汚染もなく、木々がその土を拒む理由も見つからなかった。この円の中に長くとどまった訪問者は、ときに漠然とした吐き気や頭痛、不安感を訴えることもある。もっとも、すでに「幽霊が出る」と聞かされた場所であれば、そうした感覚はいくらでも呼び起こされるものだ。はっきりと言えるのはこれだけである。ほかの場所では木々が生い茂る森の真ん中に、一本の木もない丸い空き地があり、その理由は分かっていない。あとはすべて、人々がその静寂を埋めてきた物語だ。

ねじれて育つ木々
そして、あの木々がある。ホイア・バキュのいたるところで — とりわけ空き地の近くで最も際立って — 幹が、健全な森ならけっして生み出さないであろう形にねじれ、たわみ、螺旋を描く。ある木は地面に近いところで鋭く折れ曲がって横へ伸び、ある木はせり上がりながら螺旋を巻き、あるいは再び地面のほうへと巻き戻っていく。この木々の写真こそが、この森をオンラインで初めて有名にしたものであり、それは加工された写真ではない。木々は本当にこのように育つのだ。真に解けていないのは「なぜ」である。
ありふれた説明がないわけではない。木々は病気やカビの感染、土壌の化学的な性質、若いころに受けた損傷などによって奇妙に育つことがあり、松をはじめとするいくつかの樹種の群れでは、幹がいっせいに同じ方向へたわむ現象 — 超常とは無縁で、いまだに議論の続く効果 — が見られることもある。このうちのどれか一つ、あるいはいくつかが重なって、ホイア・バキュに育つ木々を説明できるのかもしれない。だが霧のなか、その木々のあいだに立ってみると、しかもあの空き地がすぐそばにあり、頭のなかにはさまざまな物語が渦巻いているとなれば、思い浮かぶのは植物学ではない。木々は育ったというよりねじり絞られたように見え、その印象こそが — どんな測定値よりも — 人々をこの場所へ通いつづけさせるものなのだ。
円盤を写真に収めた男
ホイア・バキュを地元の伝説から国際的な話題へと押し上げた瞬間は、一九六八年八月十八日に訪れた。エミル・バルネア(Emil Barnea)という軍の技術者が森の近くに出ていて — ほとんどの記録は彼が森の西の区画で野営していたと伝える — 彼は木々の上の空に浮かぶ、金属質で円盤の形をした物体を目にした。ちょうど彼の手には簡単なカメラがあり、彼はそれを逃さなかった。物体が去ってしまう前に、彼は何コマかを続けざまに撮った。そうして撮られた、ホイア・バキュ上空の銀色の円盤の写真は世に公開され、その町をはるかに越えて広がっていった。
バルネアの物語を一枚のスナップ写真以上のものにしているのは、彼がその代償として払ったものである。時はチャウシェスク政権下のルーマニアであり、説明のつかない現象を報じるということは、無害な趣味などではなく、職業的にも政治的にも危険な行いだった。それでもバルネアは自らの写真を公開し、残された記録によれば、そのために職を失った。あの写真は今日まで、本物とも捏造とも明確には判定されていない。あの時代のUFO写真のうち、いまなお最もよく論じられるものの一つである。だが長く記憶に残るのは、その男自身だ。この森の上で何かを見て、それを写真に収め、自分が理解したとおりの真実を — その真実が何であったにせよ — 語った代償を払った人物。

生物学者と失われた記録
森を見つめていたのはバルネアだけではなかった。一九五〇年代から六〇年代にかけて、アレクサンドル・シフト(Alexandru Sift)というルーマニアの生物学者が、ホイア・バキュを幾度となく出入りした。ある記録によれば、はじめは森の植生を研究するためだったが、時がたつにつれ、彼はそこで出くわしたと語る奇妙なものを、ますます多く記録するようになっていった。年月とともに彼は、木々の上に浮かぶ異様な光や形をとらえた相当な量の写真記録を積み上げたと伝えられ、この森の最も献身的な記録者となった。
彼の仕事には、もの悲しい結末がついている。シフトは一九九三年にこの世を去り、彼が数十年にわたって集めた資料の大半は、彼の死後わずか数日のあいだに失われたという。伝えられるところによれば、その記録はそれを守ってきた人物とともに、事実上姿を消したのだ。シフトの収集品のうち、実際に何かを裏づけるものがどれほどあり、どれほどがただ伝説に呑み込まれてしまったのかは、いまや確かめるすべがない。まさにその記録が失われてしまったからである。それはホイア・バキュにいかにもふさわしい筋書きだ。何かに決着をつけられたかもしれない証拠は消え去り、それが残した物語だけが生き延びる。

羊飼いと少女、そして失われた時間
最も古い物語は、この森に名を与えた物語だ。ふつう語られるところによれば、かつて一人の羊飼いが羊二百頭ほどを連れてこの森へ入り、ついに出てこなかったという。人も羊も、痕跡ひとつ残さず消えたというのだ。そして、牧畜と結びついた言葉である「バキュ(Baciu)」という名が、消えたその羊飼いに由来して、ホイア・バキュという名になったと伝えられている。まことに不気味な話だが、これが何であるかははっきりさせておかねばならない。伝説である。そのような失踪が実際にあったと裏づける歴史記録はどこにもなく、この話は記録としてではなく口伝えとして生き延びてきた。
そのあとに最もよく繰り返される物語にも、同じ用心が要る。五歳の少女がホイア・バキュへ入り込んで消え、五年後にふたたび歩いて出てきたというのだ。少しも歳を取らぬまま、消えたときに着ていたその服のまま、そのあいだどこにいたのか何ひとつ記憶もなく。これは、この森にまとわりつく「失われた時間(ミッシング・タイム)」というモチーフの最も純粋な形であり、その傍らには、ありふれた現代の報告が並ぶ。くるくる回る方位磁針、理由もなく落ちる電子機器、わけもなく動かなくなるカメラや携帯電話。このうちのどれ一つとして、検証できる形で記録されたものはない。実在するのは、人々がこうした体験を繰り返しつづけている、あるいは繰り返しそう語りつづけているという事実、そしてクルジュ=ナポカ郊外の小さな森が、まさにそうした物語を引き寄せる磁石になったという事実である。

人々が怖くなるために訪れる森
ついに定着した別名 — 「トランシルヴァニアのバミューダ・トライアングル」 — は、ルーマニアの生物学者アドリアン・パトルット(Adrian Pătruț)が名づけたものと伝えられる。この森の奇妙な評判を研究し、広く知らしめた人物である。科学が最後にどう結論づけようとも、この名は十分にその役目を果たした。今日、ホイア・バキュはダークツーリズムの地図の上にしっかりと居場所を占めている。夜のガイド付き散策、幽霊狩りツアー、ドキュメンタリーの撮影クルー、そしてただあの丸い空き地に立って恐怖が押し寄せるのを待つためだけに訪れる旅行者たち。かつてルーマニアの人々がただ避けて通っていた森は、いまや一つの目的地となり、その不安は商品として包装され、その小道は人々の足で磨かれてつやを帯びた。
それでも、その核心だけはついに解けない。ツアーとテレビを取り払ってしまえば、あとに残るのは、頑ななまでに、本当に説明のつかないものたちだ。木々が育たない丸い一片の地面、そしてその理由を誰も知らないという事実。植物学が推測はできても確証できない、螺旋を描いてたわみ育つ幹。一人の男が職を失ってまで公開した、木々の上の何かの写真。それを守った人物とともに消え去った、異常現象の記録。そしてそのすべての底に横たわる、最も古い問い、この森の名となったまさにその問い。羊飼いは、そして彼の羊二百頭は、この森へ歩み入り、背後で木々が閉じたそのとき、いったいどこへ行ったのか。ホイア・バキュは、ついに答えなかった。幾千の人がそうするように、あなたも歩いて入ることはできる。ただし、まっすぐな答えを携えてふたたび歩いて出てくることは、まったく別の話だ。



