バス停から家までは、1kmもなかった。
歩いて十分ほど、見慣れた夜道。そのわずかな距離のどこかで、17歳の少女は消えた。同じ終バスを降りた見知らぬ男とともに、何の痕跡も残さずに。そして彼女の父は、それから25年間、娘の名を呼び続けることになる。


1999年2月13日、その冬の終バス
1999年2月13日。京畿道・平沢市、道一洞(トイルドン)ハリ村。
その日は土曜日だった。地元の女子高に通っていたソン・ヘヒさんは、新学年のクラス編成のため午前中に学校へ行った。放課後は平沢の西井洞(ソジョンドン)に住む同年代の友人たちに会いに出かけた。冬休みの終わり、まもなく高3になる17歳の、ごくありふれた一日だった。
友人たちと過ごすうちに、時刻はいつしか夜十時近くになっていた。家へ帰る終バスの時間だ。友人たちはバスに乗り込む彼女を見送った。西井洞から道一洞までは5kmほど、バスで十分から二十分の距離だった。誰もその夜を心配してはいなかった。
そのときは分からなかった。その見送りが、友人たちの見たソン・ヘヒさんの最後の姿になるとは。

バスにいたのは二人だけ
道一洞のハリは、もともと人家の少ない静かな集落だった。しかもこの日は終バス。深夜、その方向へ向かうバスにはほとんど人が乗っていなかった。
のちにバスの運転手が思い出したところによれば、その夜の車内にいたのはソン・ヘヒさんと、見知らぬ男の二人だけだった。男は三十代前半に見え、ダウンのパーカーに帽子を目深にかぶり、登山靴を履いていた。顔ははっきり見えなかった。ただ運転手は、その男から酒のにおいがしたことを覚えていた。
バスが目的地の近くに差しかかったとき、運転手はその男にどこまで行くのかと尋ねたという。男は「道一洞ハリ部落」と短く答えた。ソン・ヘヒさんが降りる、まさにその集落だった。
夜十時十五分ごろ、ソン・ヘヒさんは道一洞ハリの入り口、道一ガソリンスタンドの前の停留所でバスを降りた。そして、その男が、彼女のあとを追うように降りた。
バスは再び闇の中へ走り去った。停留所に残された二人の姿が、この事件で確認された最後の場面である。


たどり着けなかった十分
停留所からソン・ヘヒさんの家までは、歩いて十分ほど。1kmもない距離だった。
数えきれないほど歩いた道だっただろう。冬の夜で暗かったとはいえ、見慣れた集落の中である。しかし彼女は、ついに家にたどり着かなかった。
夜が更けても娘が帰らず、家族は気をもんだ。友人と遅くなっているのかと待ったが、明け方になっても連絡はなかった。翌日、家族は失踪届を出した。こんなに短い距離で、こんなにあっけなく人が消えることがあるとは、そのとき誰も信じられなかった。
停留所と家のあいだの、その十分。その間のどこかで何かが起きた。だが、その「何か」が何なのかは、いまも誰も知らない。

何の手がかりも出なかった
警察は捜査に乗り出した。最後の目撃場所ははっきりしていたので、その一帯をしらみつぶしに捜した。
田畑や葦の茂みをかき分け、排水路や側溝を調べ、近くの裏山を捜索した。集落を回って聞き込みをし、周辺の夜の街や店まで捜査対象に加えた。一緒に降りたあの謎の男を探すため、人相をもとに追跡も行った。
しかし、何も出なかった。ソン・ヘヒさんの痕跡も、一緒に降りた男の正体も。衣類ひとつ、持ち物ひとつ見つからなかった。まるであの冬の夜の闇が、二人をまるごと呑み込んでしまったかのようだった。
目撃者は事実上、運転手ただ一人だった。彼が覚えていたのはパーカーと帽子、登山靴、そして酒のにおいだけ。顔を見た者は誰もいなかった。似顔絵を作ることも、身元を特定することもできなかった。
1999年の田舎の夜道には、今のような密な監視カメラはなかった。停留所にも、ガソリンスタンドにも、集落の入り口にも、その夜を記録した目はなかった。捜査は目撃者の記憶ひとつに頼り、その記憶は顔の消えたぼんやりしたシルエットから先へは進めなかった。


崩れていった母
娘が消えたあと、まず崩れたのは母だった。
笑い、はしゃぐはずの17歳の娘が、ある夜、痕跡も残さず消えた。死んだという証拠もなく、生きているという知らせもない。どんな結末も確認されぬまま、時間だけが過ぎた。この耐えがたい不確かさが、母を少しずつ蝕んでいった。
うつと不眠が深まった。心の病は体の病へと広がった。娘を見つけたいという希望と、見つけられないという絶望のあいだを行き来しながら、母は少しずつ崩れていった。
そして娘が消えて数年後、母は娘の顔が印刷されたチラシを胸に抱いたまま、自ら世を去ったと伝えられている。失踪が奪ったのは、一人だけではなかった。残された者の人生までも、事件はともに連れ去った。

25年、娘を探してさまよった父
妻を先に見送ったあと、父ソン・ギリョンさんに残ったのは、失踪した娘を見つけたいという一つの思いだけだった。
彼は生業を捨てた。娘の写真と人相、「ソン・ヘヒを探しています」という文字を入れた横断幕とチラシを作った。そしてそれを手に、全国を歩き始めた。人の集まる場所ならどこへでも行った。バスターミナル、駅、市場、広場。一台のトラックに娘の写真を隙間なく貼り、その車を駆って津々浦々を回った。
もしや娘が電話をかけてくるかもしれないと、彼は「016」で始まる古い携帯番号を25年間変えなかった。番号が変われば娘が自分を二度と見つけられなくなるのではと恐れたからだ。
生活保護受給者として受け取るわずかな金は、その大半がチラシと横断幕の費用に消えた。借金が積もり、信用不良者になったこともあった。それでも彼は止まらなかった。娘の部屋は消えたその日のまま保っておいた。いつか帰ってくる娘のためだった。
「ソン・ヘヒを探してください」。道端に掲げられた彼の横断幕は、長い年月、全国のあちこちで人々の目にとまった。それは一人の父が世界へ送り続ける、終わらない手紙だった。



時間を呑み込んだ公訴時効
捜査になかなか進展がなく、警察の手も次第に止まっていった。
拉致や人身売買の可能性も取り沙汰されたが、どれを裏づける手がかりもなかった。遺体が見つからないので、殺人と断定することもできなかった。ただ「消えた」という事実だけが確かだった。
そうして年月が流れるうちに、この事件に関わる公訴時効は2014年2月に満了したと伝えられている。公訴時効とは、犯罪が起きたあと一定期間が過ぎると、もはやその犯罪で裁判にかけられなくなる制度だ。仮に今、誰かを特定できたとしても、旧法による時効が過ぎた部分は、事実上、法廷に立たせるのが難しくなるということである。
ただし警察は、長期の失踪・未解決事件については捜査を続けるとの意向を示してきた。忘れないという約束だった。しかし約束とは別に、決定的な手がかりはついに現れなかった。

娘を見つけられぬまま逝った父
2024年8月、父ソン・ギリョンさんの25年は、思いがけない形で終わった。
彼はその頃、新型コロナに感染して入院したのち、心筋梗塞の手術を受けて退院したばかりだった。体調が万全でないなかでも、彼は娘を探すことを手放してはいなかった。
2024年8月26日、トラックを運転していた彼は、対向から来た貨物車と衝突する交通事故に遭った。病院へ運ばれたが、ついに息を引き取った。七十を超える年齢だった。
娘が消えた1999年から、自らが目を閉じた2024年まで、まる25年。彼はついに娘をふたたび腕に抱くことはなかった。娘の生死すら確かめられぬまま、娘を見つけたいというその一つの思いだけを抱いて逝った。
全国のあちこちで長らく人々の目頭を熱くさせた「ソン・ヘヒを探してください」という横断幕。その横断幕を作った人は、もうこの世にいない。


海外の読者のための短い背景
この事件を初めて知る海外の読者なら、こんな疑問がわくかもしれない。「1kmもない距離で人がどうやって消えるのか。防犯カメラはなかったのか」と。
1999年の韓国の田舎の集落を思い浮かべる必要がある。ここは大都市ではなく田舎の村で、今のように通りごとに監視カメラが並んでいた時代ではなかった。携帯電話もようやく普及し始めたばかりで、位置を追跡する技術も今のようではなかった。深夜の人けのない田舎の停留所は、誰も見ていない空白地帯だった。
もう一つ。韓国には、失踪した家族を探すために生涯をささげる親たちの物語がいくつもある。ソン・ヘヒさんの父は、その象徴のような存在だった。道端の横断幕、トラックに貼った写真、25年間変えなかった電話番号 ― そのすべてが韓国の人々の心に長く残り、この事件は単なる失踪を超えて「一人の父の待ち人」として記憶されている。

いまも残る問い
この事件には、答えの見つからない問いがいくつも残っている。
終バスを一緒に降りたあの男は誰だったのか。たまたま同じ停留所で降りた近所の人だったのか、それともあの夜に関わりのある人物だったのか。彼はなぜついに名乗り出ず、なぜ誰も彼を見分けられなかったのか。確認された事実は、パーカーと帽子、登山靴、酒のにおいだけ。あのぼんやりしたシルエットの背後に何があったのかは、誰も知らない。
ソン・ヘヒさんは、停留所から家までのその短い道で何を経験したのか。事故だったのか、誰かの手によるものだったのか。それすら私たちには分からない。遺体も、遺留品も、目撃もないまま、彼女はただ消えた。
私たちはこの空白を軽々しく埋めはしない。裏づけのない推測で特定の誰かを指すこともしない。はっきりしているのはただ一つ。17歳の少女が家から1kmもない場所で消え、その夜を境に誰も彼女を再び見なかった、という事実だけである。

あの夜、何があったのか ― 誰も知らない
ソン・ヘヒ失踪事件は、いまも未解決のまま残っている。
終バスを降りたあとの十分、1kmもないその道。そのあいだで起きたことを知る者は誰もいない。少女も、一緒に降りた男も、あの夜の闇の中へ消えて、ふたたび戻らなかった。
娘を探して25年さまよった父も、もうこの世にいない。娘の部屋はあの日のまま残り、道端のどこかに掲げられた横断幕の文字は、いまも答えを待っている。「ソン・ヘヒを探してください」。
生きていれば、彼女はいま四十代半ばになっているはずだ。どこかで年を重ねたその顔を、私たちは想像することしかできない。
一人の少女が冬の夜、終バスを降り、家へ帰る道の途中で消えた。そしてそのあとに何があったのかは、いまも誰も知らない。





