目撃者が殺人犯にされた。

15歳の少年は、やってもいない殺人のために10年を刑務所で過ごした。その間ずっと、本当の犯人は外にいた。韓国司法史上もっとも痛ましい誤判のひとつである。そして真実が明らかになるまでに、実に16年がかかった。

2000年の夏、韓国・益山という地方都市の五叉路で、タクシー運転手が刃物で刺されて亡くなった。警察は現場近くにいた少年を犯人として捕らえる。服にも靴にも血の跡はひとつもなかったが、少年は「自白」し、有罪を宣告された。これは、ひとりの人間が失った歳月の物語であり、そして国家がひとりの人間にどう頭を下げるに至ったかの物語である。

益山市街の裏路地の交差点。古い理髪店やスーパーの看板がそのまま残る現場一帯の実景である(事件当時ではなく現在の益山)
益山市街の裏路地の交差点。古い理髪店やスーパーの看板がそのまま残る現場一帯の実景である(事件当時ではなく現在の益山)

写真: Wikimedia Commons, CC BY 4.0

益山・率里(ソムリ)の古い商店街の路地 ── 事件の舞台となった街の現場実景(現在の姿)
益山・率里(ソムリ)の古い商店街の路地 ── 事件の舞台となった街の現場実景(現在の姿)

写真: Wikimedia Commons, CC BY 4.0

私がこの事件の資料をたどりはじめたのは、判決文よりも先に、鑑定の一行を目にしたからだった。少年の服と靴からは血痕が一点も検出されていない。刃物で何度も刺したとされる人物について、そう記録されている。私は誤判の事例をいくつも整理してきたが、矛盾がこれほど早い段階で、これほど短い一文で残されていた例はそう多くない。書かれていた。そして、読まれなかった。

2000年8月、その未明

2000年8月10日、午前2時ごろ。全羅北道益山市栄登洞、五本の道が交わる薬村五叉路には人影がほとんどなかった。そこに停まっていた一台のタクシーの中で、運転手が刃物で何度も刺された状態で発見された。すぐに病院へ運ばれたが、運転手はついに息を引き取った。

深夜、客の姿もない地方都市の交差点。目撃者もなく、防犯カメラもなかった。2000年の韓国の地方道路には、今日のような密な監視カメラ網はまだ張り巡らされていなかった。警察の手元にあったのは、遺体とタクシー、そして闇だけだった。

捜査は最初から壁にぶつかった。強盗の仕業なのか、怨恨なのか、突発的な犯行なのかさえ見当がつかなかった。だが事件が世に知られると、早期解決を求める圧力が警察に押し寄せた。そしてその圧力は、あらぬ方向へと流れていった。

益山の街のありふれた昼の風景 ── この事件の舞台となった地方都市の現場実景(現在の姿)
益山の街のありふれた昼の風景 ── この事件の舞台となった地方都市の現場実景(現在の姿)

写真: Wikimedia Commons, CC BY 4.0

「近くにいた」というだけの理由で

事件現場の近くには、バイクに乗った少年がひとりいた。当時15歳、喫茶店のコーヒー配達をしていた子どもである。その未明にバイクで近くを通ったこと、そして事件を目撃したかもしれないこと ― 少年が捜査線上に浮かんだ理由は、事実上それがすべてだった。

目撃者だったかもしれない少年は、いつのまにか容疑者になっていた。

その後に起きたことについて、少年はのちにこう証言している。警察の高圧的な取り調べの中で、やってもいない犯行を自白せざるをえなかったのだ、と。15歳の子どもが徹夜の取り調べに耐え、成人の捜査官たちの前で無実を守り抜くのは、容易なことではない。

ここで必ず押さえておくべき点がある。少年の服と靴からは、血痕がただの一点も見つからなかった。刃物で人を何度も刺して殺した犯人であれば、ありえないことだった。常識的にも、科学的にも、辻褄が合わなかった。だがこの明白な矛盾は、捜査の方向を引き戻すことはなかった。

誰もいない取調室。古びた机ひとつと、天井から降りる冷たい照明
誰もいない取調室。古びた机ひとつと、天井から降りる冷たい照明
机の上に積まれた古い調書の束。文字は判読できないようにぼかされている(判読可能なテキストなし)
机の上に積まれた古い調書の束。文字は判読できないようにぼかされている(判読可能なテキストなし)

「自白」という名の証拠

韓国を含む多くの国の司法史において、誤判を招くもっとも危険な証拠は、意外にも「自白」である。

自白は強力だ。本人が自ら「私がやった」と口にすること以上に確実に見える証拠はないからである。しかし、まさにその強さゆえに、自白は危険なのだ。物的証拠に乏しい事件で捜査が自白だけに頼れば、自白を引き出すこと自体が捜査の目的になってしまう。真実を探す代わりに、あらかじめ決めた結論に人を当てはめていくのである。

「強圧捜査(高圧的な取り調べ)」がここで登場する。徹夜の取り調べ、威圧的な雰囲気、懐柔と脅しが入り混じった尋問の中で、人は目の前の苦しみから逃れるために、やってもいないことを認めてしまうことがある。相手が未成年であれば、その危険ははるかに大きくなる。薬村五叉路事件で少年が残した自白がまさにその種のものであったことは、のちに法廷で認められた事実である。

物的証拠が自白と食い違うとき、捜査機関はふたつの道の前に立つ。自白を疑うか、証拠から目をそらすか。この事件で選ばれたのは、後者だった。

留置場へ続く狭く暗い廊下。冷たい鉄扉が並ぶ通路
留置場へ続く狭く暗い廊下。冷たい鉄扉が並ぶ通路

懲役10年、そして満期服役

裁判が始まると、少年は法廷で犯行を否認した。自白は強要されたものだと訴えた。だが第一審は有罪を認め、懲役15年を宣告した。

控訴審で流れはさらに重く沈んだ。少年は結局、犯行を認める側へと転じ、控訴審は懲役10年を宣告した。そして上告がなされないまま、刑はそのまま確定した。なぜ少年が控訴審で態度を変えたのか、その裏にどんな事情があったのかは、のちの再審の過程でようやく再び光が当てられることになる。

こうして15歳の少年は、殺人犯になった。

彼は刑務所で10年をまるまる過ごした。少年から青年になっていく時間、学校に通い、友を作り、世界を学ぶべきその時間を、やってもいない殺人への罰として鉄格子の中で過ごしたのである。満期出所したとき、彼の手に残っていたのは、殺人の前科と、失われた10年だった。

独房の小さな窓から差し込む一筋の光。壁に落ちる格子の影
独房の小さな窓から差し込む一筋の光。壁に落ちる格子の影
歳月の流れを映す古びたカレンダー。数字と文字は判読できないようにぼかされている(判読可能なテキストなし)
歳月の流れを映す古びたカレンダー。数字と文字は判読できないようにぼかされている(判読可能なテキストなし)

本当の犯人は外にいた

この事件が単なる誤判を超えて「痛ましい」事件と呼ばれる理由は、別にある。本当の犯人が外にいたからだ。

少年が刑務所で服役していた2003年ごろ、別の人物が真犯人として名指しされたという情報が寄せられた。事件当時すでに成人だったこの人物をめぐる状況が、捜査線上に浮かんだのである。無実の少年がすでに閉じ込められている間に、本当の犯人かもしれない人物が外で名指しされていたのだ。

だが、この決定的な局面で捜査は再び道を誤った。真犯人の疑いのある人物への捜査は十分に行われず、結局その人物は処罰されないまま釈放された。すでにひとりの少年を犯人と確定して刑務所へ送った状況で、別の真犯人の存在を認めることは、捜査機関自らの誤りを認めることを意味した。その重さが真実を阻んだ、という批判が続いた。

特定の人物について、ここで有罪を断定することはしない。ただ、のちに司法手続きを経て確定した事実だけを述べるなら ― この局面で真犯人へ向かう捜査の扉が一度閉ざされ、その代償を、無実の少年が刑務所の中で払い続けたということである。

がらんとした法廷の内部。誰も座っていない傍聴席と静まりかえった室内
がらんとした法廷の内部。誰も座っていない傍聴席と静まりかえった室内
静かな法廷の正面。空いた裁判官席と落ち着いた照明
静かな法廷の正面。空いた裁判官席と落ち着いた照明

再審 ― 閉じた扉を再び叩く

出所した彼は、立ち止まらなかった。失われた10年を、ただ飲み込んで生きることはできなかった。自らの無実を再び証明するため、彼は最後の扉を叩くことを決めた ― 「再審」である。

再審とは、すでに確定した判決に重大な誤りがあったと判断されたとき、その事件を再び裁判する制度だ。一度確定した判決を覆すことになるため、再審の敷居はきわめて高い。新たな証拠が必要であり、従来の判決の誤りが明白でなければならない。無罪を勝ち取ることよりも、再審そのものを開くことのほうが難しい、と言われるほどである。

2013年、彼は再審を請求した。「警察の強圧によって虚偽の自白をした」というのが請求の核心だった。この困難な闘いには、再審事件を専門に手がけてきた朴(パク)姓の弁護士が共に立った。物的証拠と自白の矛盾、強圧捜査の兆候を、ひとつひとつ積み上げ直していく長い過程だった。

法廷での攻防は容易ではなかった。検察は再審に消極的で、手続きは遅々として進んだ。しかし、一度開いた真実の隙間は、二度と閉じることはなかった。

古い再審の書類綴りを再び開く手。文字は判読できないようにぼかされている(判読可能なテキストなし)
古い再審の書類綴りを再び開く手。文字は判読できないようにぼかされている(判読可能なテキストなし)
弁護士事務所の机。書類の山とスタンドの灯りが置かれた静かな空間(判読可能なテキストなし)
弁護士事務所の机。書類の山とスタンドの灯りが置かれた静かな空間(判読可能なテキストなし)

16年ぶりの無罪

2016年11月、光州高等法院は再審で彼に無罪を宣告した。その後、判決は最高裁で最終的に確定した。

事件が起きた2000年から16年。彼が刑務所で過ごした10年、出所後に再び無実を証明するために闘った歳月まで、すべてを合わせた時間だった。裁判所は、彼の自白には信ぴょう性がなく、彼を有罪とする証拠がないと判断した。15歳で殺人犯になった少年は、30を過ぎた年齢になって、ようやく「無罪」の二文字を手にしたのである。

無罪が確定したその時、もうひとつの出来事が同時に起きた。あれほど長く処罰を逃れてきた真犯人の疑いのある人物が、ついに司法の網にかかったのだ。

裁判所の建物の外観。正義を象徴する堂々とした正面
裁判所の建物の外観。正義を象徴する堂々とした正面
闇を切り裂いて差し込む一筋の光。真実を象徴する叙情的なイメージ
闇を切り裂いて差し込む一筋の光。真実を象徴する叙情的なイメージ

真犯人の処罰、そして間一髪だった時効

無罪が宣告された日、検察は真犯人として名指しされた金(キム)姓の男を緊急逮捕した。そしてその年の12月、金は強盗殺人の容疑で裁判にかけられた。

ここには、間一髪の事情がひとつ絡んでいる。「公訴時効」である。犯罪が起きてから一定期間が過ぎると、もはやその犯罪で裁判にかけられなくなる制度だが、本来なら、はるか昔に起きたこの事件の時効はすでに切れていた可能性があった。

ところが2015年7月、韓国は殺人罪の公訴時効を廃止する法律を施行した。いわゆる「テワン法」― かつての未解決事件の幼い被害者の名にちなんだ法律である。この法律は、施行時点でまだ時効が切れていない殺人事件に適用され、その基準線が2000年8月初め以降に起きた事件だった。薬村五叉路事件が起きたのは2000年8月10日。わずか数日の差で、真犯人を処罰する道がかろうじて残っていたのである。

金は裁判を経て有罪を宣告され、2018年3月、最高裁は懲役15年とした原審を確定した。事件が起きてから18年ぶりだった。本当の犯人が処罰されるまでに、無実の少年が刑務所で10年を過ごし、さらに8年の歳月が流れた後のことだった。

均衡を保つ正義の天秤。落ち着いた背景の象徴的なイメージ(判読可能なテキストなし)
均衡を保つ正義の天秤。落ち着いた背景の象徴的なイメージ(判読可能なテキストなし)

国家の謝罪、そして失われた時間の値

無罪が確定したのち、彼は国家を相手に損害賠償を請求する訴訟を起こした。違法な捜査と誤った有罪判決によって、回復しがたい被害を受けたというものだった。

2021年1月、裁判所は国家の賠償責任を認めた。裁判部は、彼に13億ウォンあまりを、母親に2億5千万ウォンを、弟(妹)に5千万ウォンを賠償するよう命じた。裁判部は、彼が受けた被害を本来20億ウォンに上ると見なしたが、先に支払われた刑事補償金を考慮して賠償額を定めたと伝えられている。

捜査機関は、この事件をめぐって遅ればせながら頭を下げた。検察と警察が、16年ぶりに謝罪の意を表したのである。だが、いかなる賠償金も、いかなる謝罪も、15歳で刑務所に閉じ込められ失われた10年を取り戻すことはできない。少年期と青年期の、もっとも輝くべき時間が、やってもいない殺人の代償として消えた。

金額で示された賠償は、国家が過ちを認めたという証にすぎない。失われた時間には、そもそも値をつけることなどできないのである。

光が差し込む開かれた扉。出所と自由を象徴するイメージ
光が差し込む開かれた扉。出所と自由を象徴するイメージ
ぼやけた後ろ姿のシルエットひとつが闇の中へ消えていく(モンタージュではなく、身元は識別不能)
ぼやけた後ろ姿のシルエットひとつが闇の中へ消えていく(モンタージュではなく、身元は識別不能)

なぜ私たちはこの事件を記憶すべきなのか

薬村五叉路事件は、2017年に公開された一本の映画の題材となり、より多くの人に知られるようになった。だが、この事件が残したものは、一本の物語以上のものである。

ひとりの人間が、近くにいたというだけの理由で殺人犯にされた。物的証拠は彼の無実を指し示していたのに、捜査は自白を前面に立て、彼を刑務所へ送った。真犯人が外で名指しされたときでさえ、誤りを認めることの耐えがたい重さが真実を阻んだ。そしてそのすべての代償を、なんの力もないひとりの少年が払った。

この事件は、司法制度がいかに脆くありうるかを示している。物的証拠より自白を優先する捜査、未成年者への強圧、一度下した結論を覆すことをためらう惰性 ― これらすべてが重なるとき、無実の人間が殺人犯になりうる。そしてその誤りを正すのに、実に16年がかかったのである。

それでも、この物語の最後に残るものはひとつだ。失われた10年を抱えながらも、あきらめずに再審の扉を叩いたひとりの人間がいたからこそ、国家はついに自らの過ちを認め、頭を下げた。真実は遅く来た。だが、来なかったわけではなかった。

それでも、この事件の年表を作り直すたび、私は2015年7月の一行の前で手が止まる。殺人罪の公訴時効を廃止した法律の適用基準線と、事件が起きた2000年8月10日との差は、わずか数日しかない。あの数日がなければ、真犯人は名を呼ばれることのないまま最後まで外にいた。無実が証明されるかどうかが、制度の改正日と事件日の偶然の並びに委ねられていた、ということでもある。私が手もとの資料で確かめられるのは、この事件がその線の内側に落ちたという事実だけだ。線の外側に落ちた事件が何件あるのかは、どの記録にも載っていない。

益山・永登洞一帯から見下ろした市街の全景 ── 一人の少年が16年を奪われた街の現場実景(現在の姿)
益山・永登洞一帯から見下ろした市街の全景 ── 一人の少年が16年を奪われた街の現場実景(現在の姿)

写真: Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0

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この記事には、実際の記録写真・現場写真と、雰囲気を伝えるために制作したAI生成画像・映像が併せて使われている。