京畿道アンサン市檀園区草芝洞(チョジドン)。

ありふれたマンション団地でした。

その団地の遊び場の片隅には 古いリヤカーが一台、停めてありました。

古紙を集めるリヤカーのような、 荷物の上に青い布がかけられた、ありふれた手押し車。

車輪には乾いた泥がこびりつき、 布は陽に焼けて色あせていました。

とりたてて特別なものではありませんでした。

誰かがちょっと停めておいた荷車。 じきに片づけられるはずの物。

町の人の誰も、 それを長く気に留めることはありませんでした。

子どもたちは毎日その横で 滑り台をすべり、ブランコを押しながら 遊んでいました。

そのリヤカーが どれほど長くその場所にあったのかは、

誰も正確には覚えていませんでした。

いつ停められたのかを覚えている人がいない ―

あとから振り返れば、 それ自体がすでに不自然なことでした。

私がこの事件の資料を集めはじめたとき、 最初に困ったのは「いつから」という一行でした。

放送の記録も、当時の報道も、 リヤカーが停められた時期については どれも「およそ2008年ごろ」としか書いていません。

日付が確定している事実は いくらでも並べられるのに、 この一点だけが、どの資料でも ぼやけたまま揃っているのです。

集めれば集めるほど輪郭がはっきりする事件と、 集めるほど中心が抜けていく事件があります。 これは、後者でした。

2011年7月6日

その日、ひとりの住民が管理事務所に頼みました。

「遊び場に放置されているあのリヤカー、 子どもたちがぶつかって怪我をしそうです。 片づけてください」

午後3時10分ごろ、 警備員がリヤカーを片づけに行きました。

荷物を覆っていた青い布をめくると クーラーボックスが出てきました。

夏の遊び場にクーラーボックスがあっても おかしなことではありません。

ただ一つ、おかしなことがありました。

動かそうとすると、 クーラーボックスが異様に重かったのです。

空の箱ならありえない重さでした。

警備員は何気なくその蓋を開けました。

その中には、 白いビニールで何十にも包まれた 旅行用のかばんが入っていました。

底には黒い液体がたまり、 耐えがたい臭いが立ちのぼりました。

そしてそのかばんの中に、 ひとりの女性がいました。

警備員の通報で警察が駆けつけました。

もっとも平凡に見えた遊び場が、 その日、事件現場になりました。

3年

捜査が始まると 真っ先に明らかになった事実が 人々を凍りつかせました。

そのリヤカーは、 およそ3年間、その遊び場にありました。

3年。

住民たちの記憶を突き合わせ、 管理事務所の記録をたどると、 リヤカーがその場に停められたのは 2008年ごろにまでさかのぼりました。

その間に春が三度おとずれ、 夏が三度過ぎていくあいだ、

子どもたちは毎日そのリヤカーの横で 遊んでいたのです。

その中のクーラーボックスに 何が入っているのか 誰も知らないまま。

親たちは子どもをその遊び場に送り出し、 おばあさんたちはその横のベンチに座って休みました。

夏にはその横で水遊びをし、 冬には雪だるまを作りました。

その長いあいだ、 誰ひとりリヤカーを疑いませんでした。

あまりにありふれていたために、 かえって見えなくなっていたのです。

もっともありふれた町の遊び場が 実は3年ものあいだ遺体遺棄の現場だったということ。

この事件が今なお 人々を寒気立たせる理由です。

消された人

被害者は脳性まひの障害を持つ 40代の女性でした。

片方の腕が不自由で、 障害手当と生活保護(基礎生活受給)で 一日一日をつないでいた人でした。

まさにそのマンション団地の住民でした。

記録をたどると 彼女は2006年ごろから その足取りが完全に途絶えていました。

病院の受診記録も、 福祉相談の記録も、 それ以降は何ひとつ残っていませんでした。

数年後に住民登録は抹消され、 それでも誰ひとり彼女を探していませんでした。

行方不明の届け出さえ、ありませんでした。

遺体の首と両方の親指は 切断されていました。

身元がわからないようにするための 意図と見られました。

指紋も顔も消したうえで、 かばんに入れて遺棄したのです。

ひとりの人間が世界から消えたのに、 その消失に気づいた者さえいなかったのです。

消えたというより、 消されたに近いことでした。

夜の遊び場に停められたリヤカー ― その横で子どもたちは3年を遊んだ。
夜の遊び場に停められたリヤカー ― その横で子どもたちは3年を遊んだ。

消えた容疑者

捜査網には、ひとりの男が引っかかりました。

そのリヤカーの持ち主であり、 被害者の保護者兼、同居関係にあったと 知られる鄭(チョン)氏でした。

彼はかつて、被害者の行政手続きを 代わりに処理していた人物でもありました。

彼には不審な事情がいくつもありました。

まず、被害者が消えたあとも 彼女宛てに支給される障害手当と 政府の支援金が、 彼女名義の口座から 引き出され続けていたのです。

この世にいない人の金が、 誰かの手で流れ出し続けていたのです。

そのうえ彼には 過去に妻を殺害した前科がありました。

捜査官たちにとって、この組み合わせは そのまま見過ごせるものではありませんでした。

警察が彼を取り調べようとしたとき、 しかし決定的な壁にぶつかりました。

彼はすでにこの世の人ではありませんでした。

2009年、がんで世を去ったあとでした。

リヤカーがその場にあった3年のあいだに、 肝心の問いただす相手は すでに消えていたのです。

夜のマンションの遊び場 ― 街灯の下、ブランコだけが微動だにせず立っている。
夜のマンションの遊び場 ― 街灯の下、ブランコだけが微動だにせず立っている。

この記録を閉じる前に

有力な容疑者は死亡し、 2011年当時、その遊び場の近くには CCTVがほとんどなく、 被害者の最後の数年は 闇に埋もれています。

司法解剖でも、正確な死亡時期と 死因を特定するのは困難でした。 遺体の腐敗があまりに激しかったからです。

だからこの事件は 永久に未解決のまま残りました。

はっきりさせておくべきは、 鄭氏は有力な容疑者として指目されただけで 犯行が立証されたわけではない、という点です。

彼がすでに亡くなっている以上、 法廷で争う機会さえ 永遠に失われました。

いまや真実を語れる者は 誰ひとり残っていません。

ただひとつだけ、考えてみます。

3年間そのリヤカーの横で遊んでいた子どもたちは もうすっかり大きくなっているでしょう。

その子どもたちの誰ひとりとして、 自分がどんなものの横で 毎日笑っていたのかを 知りませんでした。

世界でもっとも恐ろしいことは ときとして、 もっともありふれた顔をして 私たちのそばに置かれています。

3年間、 何事もないように。

この記録を整理しながら、 私は被害者の側の資料を 何度も並べ直しました。

病院の受診記録。 福祉相談の記録。 住民登録の抹消。

どれも「終わった日付」は残っているのに、 彼女がどこにいたのかを示す行は 2006年で途切れたままです。

彼女名義の口座から金が動いていた記録だけが、 その先も何年か続いています。

書類の上では、 彼女はしばらく生きていたことになるのです。

私が今も閉じられずにいるのは、 その数年ぶんの記録を 誰の欄に入れればいいのか、 まだ決められないからでした。

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この記事の画像と映像は、物語の雰囲気を伝えるために制作したAI生成物であり、実在の人物や出来事を撮影した写真ではない。