2001年2月4日の午後、韓国・全羅南道羅州市南平邑を流れるトゥルドゥル川の水辺で、一人の少女が発見された。十七歳、ようやく高校の門をくぐったばかりの年齢だった。少女はすでに息絶えており、冬の川の水に沈んだまま岸辺に残されていた。前夜、家に帰らず、行方不明届が出されていた子だった。家族が必死に捜し回った一夜のうちに、少女は川辺で命を奪われた。誰が、なぜ、どうやってあの冬の夜に少女をそこへ連れて行ったのか——その日の川は何も語らなかった。これは、川が呑み込んだはずの真実が、目にも見えない微かな痕跡ひとつに乗せられて、十五年ぶりに戻ってきた物語である。

栄山江水系の明け方の川霧 — トゥルドゥル川(砥石川)が流れ込む同じ水系の、現在の実景(事件現場そのものの写真ではなく、同一水系の代替実景)
栄山江水系の明け方の川霧 — トゥルドゥル川(砥石川)が流れ込む同じ水系の、現在の実景(事件現場そのものの写真ではなく、同一水系の代替実景)

写真: Wikimedia Commons, CC BY 2.0

この事件を資料として扱いはじめてから、私は年表を二本引くようになった。一本は事件が進んだ時間、もう一本は「証拠が待たされた時間」である。2001年に採取された痕跡が、照合相手を得るまでに十一年。判決が確定するまでにさらに五年。記録を並べていると、事件そのものより、その待ち時間のほうが長い。アーカイブとは本来、時間を止めて保管する場所のはずだが、この件では保管されていたのは時間ではなく、宙づりになった問いのほうだった。

冬の川辺で見つかった少女

トゥルドゥル川は、羅州・南平の野を横切って流れる、それほど大きくない川である。夏には水遊びに来る人々でにぎわうが、二月の川辺は枯れた葦だけが風に揺れる寂寞とした場所だった。2001年2月4日、その水辺で一人の少女の亡骸が見つかった。遺体は水に沈んだ状態で、冬の川の冷たい水はすでに多くのものを奪い去っていた。

少女は前夜に家を出たきり戻らなかった。家族はその夜に行方不明届を出したが、一日と経たぬうちに最悪の知らせが返ってきた。検死の結果、少女は性的暴行を受けたのち殺害されたことが明らかになった——この事件がいかに残虐だったかは、この一行で十分であり、被害者の尊厳のために私たちはそれ以上を記さない。重要なのは、この少女が何の落ち度もなく冬の川辺で命を奪われたという事実、そしてその命を奪った者が闇の中へ消え去ったという事実である。

トゥルドゥル川が合流する栄山江本流の現在の実景 — 広くおだやかな川面と低い堰、川辺の河川敷(事件現場そのものではなく、同一水系の代替実景)
トゥルドゥル川が合流する栄山江本流の現在の実景 — 広くおだやかな川面と低い堰、川辺の河川敷(事件現場そのものではなく、同一水系の代替実景)

痕跡を消した川、しかし残された一つ

殺害現場として、川辺ほど捜査を難しくする場所も珍しい。流れる水は足跡を消し、残されたかもしれない証拠を洗い流し、時間の順序さえ曖昧にする。トゥルドゥル川事件も例外ではなかった。現場からは犯人を特定できる目撃者も、はっきりとした物証もなかなか出てこなかった。少女と犯人の間にどんな接点があったのかさえ判然としなかった。顔見知りの恨みも、目立った争いの跡も見当たらない。まるで見知らぬ誰かが少女の人生にふいに割り込み、痕跡ひとつ残さず抜け出していったかのようだった。

だが、川の水がついに洗い流せなかったものが一つあった。少女の体には、彼女自身のものではない、誰かの生物学的な痕跡が残されていた。捜査員たちはその微かな痕跡からDNAを採取した。2001年当時、これは犯人をただちに捕らえてくれる鍵ではなかった。そのDNAと照合できる相手が必要だったが、データベースに一致する人物はいなかった。犯人の名も顔も分からぬまま、捜査班の手にあったのは「いつか持ち主を見つけなければならない」遺伝子情報の一片だけだった。事件はそうして長期未解決事件に分類され、キャビネットの中へと収められた。

科学捜査ラボの遺伝子分析装置と試験管、冷たい照明
科学捜査ラボの遺伝子分析装置と試験管、冷たい照明

未解決のまま埋もれた歳月

未解決事件が恐ろしいのは、時が経つほど人々の記憶から消えていくところにある。目撃者の記憶は薄れ、現場は変わり、関係者は散り散りになる。トゥルドゥル川の少女も、そうして少しずつ世間の関心から遠ざかっていった。だが少女の家族にとっては一日も忘れたことのない事件であり、事件記録を引き継いだ捜査員たちにとっても、心に負った借りのように残る事件だった。

その間に、韓国の犯罪捜査には大きな変化が訪れた。DNA情報を体系的に集め、管理する制度が根づき始めたのである。特定の犯罪で刑が確定した者のDNAをデータベースに登録しておけば、過去の未解決現場から出た遺伝子と照合できるようになった。言い換えれば、かつて川辺で確保しておいたあの微かな痕跡が、ついに「持ち主」と出会う可能性が開けたのだ。トゥルドゥル川の少女の体に残されていたDNAは、キャビネットの中で静かにその日を待っていた。

古い未解決事件の書類ファイルが積まれたキャビネット、色あせたフォルダ
古い未解決事件の書類ファイルが積まれたキャビネット、色あせたフォルダ

2012年、DNAが指し示した名前

待ち続けた時が終わったのは2012年だった。国立科学捜査研究院がデータベースを照合していたところ、トゥルドゥル川の現場のDNAと一致する人物がついに引っかかった。相手は、まったく別の強盗殺人事件ですでに無期懲役を言い渡され、刑務所で服役中の男だった。十一年前の冬の川辺に痕跡を残した者と、のちに別の凶悪犯罪で収監された者の遺伝子が同じだった。捜査機関にとって、これ以上に強力な手がかりはないように見えた。

しかしここで、事件は一度大きく折れる。DNAが一致するという事実だけで、ただちに有罪が確定するわけではなかった。長い歳月が流れたあとで、現場証拠の多くはすでに失われ、犯行当時の状況を裏づける他の証拠も乏しかった。結局、初期の再捜査の段階で検察は「証拠が十分でない」との判断を下し、指目された男はこの事件について不起訴処分を受けた。DNAという決定的な糸口が手に入ったにもかかわらず、犯人はもう一度、処罰の網をすり抜けたのである。真実が目の前にちらついているのに捕らえられなかった、痛恨の瞬間だった。

この事件を捜査した羅州警察署の現在の姿 — メタセコイア並木の奥に立つ正門
この事件を捜査した羅州警察署の現在の姿 — メタセコイア並木の奥に立つ正門

写真: Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

夕暮れの穏やかな川面をゆっくりと流れる霧、雰囲気の再現

再び開かれた捜査、そして確定した判決

埋もれかけた事件を再び水面へと引き上げたのは、この不起訴処分が世に知られたことだった。2015年、有力なDNA証拠がありながら事件がうやむやに終結していた事実が、ある報道を通じて初めて明るみに出た。続いて複数の時事番組が相次いで事件を掘り下げると、忘れられていたトゥルドゥル川の少女は、再び人々の口の端に上りはじめた。「決定的な証拠があったのに、なぜ犯人を取り逃がしたのか」という問いはやがて激しい世論となり、再捜査を求める声が全国へと広がっていった。一度は忘れられた未解決事件が、今度は社会全体の関心のなかでよみがえったのである。この圧力のなかで、警察と検察は再捜査に着手した。今度はDNAひとつだけに頼らなかった。捜査班は、指目された男の過去の足取り、事件前後の状況、彼が犯行に至った経緯を、あらためて綿密に組み立てていった。散らばっていた状況証拠が一つずつ収まるべき場所を見つけ、十五年前の冬の夜の絵が、再び描かれ始めた。

こうして補強された捜査結果をもとに、検察は2016年、指目された男を強姦などによる殺人の容疑で裁判にかけた。そして裁判所は、検察が示した証拠を受け入れた。第一審の裁判部は男に無期懲役を言い渡し、犯行後に自らの足取りを緻密に取り繕っていた事実まで認定した。控訴審も同じ結論を維持した。ついに2017年12月22日、大法院(最高裁判所に相当)は男の上告を棄却し、無期懲役を確定させた。事件が発生してから約十六年、そしてDNAが初めて彼を指し示してから五年の時を経て、判決で姓の「キム」とのみ特定されたその男は、法の最終判断の前に立った。無期懲役とともに、刑の執行後に備えた電子装置の装着命令も下された。

裁判所の廊下の空いたベンチと長い影、静かな午後
裁判所の廊下の空いたベンチと長い影、静かな午後

川が消せなかったもの

トゥルドゥル川事件は、二つの顔を持つ物語である。一つは、科学捜査の進歩がいかにして時をさかのぼり真実を呼び戻すかを示す顔だ。2001年の捜査員たちは、自分たちが確保したあの微かな痕跡が、十五年後に一人の男を法廷に立たせるとは想像もしなかっただろう。流れる川の水すら洗い流せなかった一片の証拠が、データベースという網と出会い、ついに一つの名前を掬い上げた。長く埋もれていた未解決事件が、DNAの前で崩れ落ちる瞬間だった。

もう一つの顔は、いくらか重い。決定的な手がかりが手に入っていた2012年、もしあのとき事件を最後まで押し切っていたら、どうだったろうか。証拠が乏しいという判断のもとで一度取り逃がしてしまった、あの三年の空白を思うと、この事件は科学の勝利であると同時に、痛烈な教訓でもある。それでも結局、真実が本来の場所を見出したのは、事件を忘れなかった人々のおかげだった。少女を覚えていた家族、再び食い下がった捜査員、そして「なぜ取り逃がしたのか」と問うた社会の声が集まり、止まっていた時計を再び動かした。

いま私たちが確かに言えるのは、これである。2001年の冬、十七歳の少女がトゥルドゥル川のほとりで命を奪われた。犯人は痕跡を残さなかったと信じていただろう。だが、水すら消せなかったものがあり、それは十五年の沈黙を越えて、ついに彼を指し示した。トゥルドゥル川は長らく口を閉ざしていたが、結局、少女に代わって真実を証言したのである。

それでも、私が資料を閉じるたびに引っかかるのは2012年の不起訴処分の一枚だ。同じDNAを前にして、ある年には「証拠が十分でない」と書かれ、数年後には無期懲役が確定した。変わったのは物証ではなく、それを読む側だった。私はいまも、その三年のあいだ書類がどの棚に置かれていたのかを考える。この記録の一行が違っていたら、少女の名前の隣は今日も空白のままだったはずである。同じような空白を、私はまだいくつも抱えている。

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この記事には、事件現場一帯の実際の現地写真と、物語の雰囲気を伝えるために制作したAI生成の画像・映像が併せて使われている。